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ジンマン・N響のマーラー交響曲第7番 [クラシック]

先週末、ジンマン指揮N響のマーラー交響曲第7番をNHKホールで聴きました。ジンマンの録音は好きなので、期待して行きましたが、複雑な印象の演奏会でした。

ネット上であちこちのブログに書かれているように、金管が大事なソロを次々と外した点は興ざめでした。でも、個々のシーンを思い返すと、金管だっておおむね良い音でがんばっていたし、木管はとても良く、弦セクションも打楽器もきっちり演奏していたように思います。ジンマンが時折第一ヴァイオリンの方を向いて、たっぷり歌ってね、みたいな指示を与えているのが見え、マロさんはじめよく応えていたと思います。
この曲の実演は初めて聴きましたが、けっこう聴きどころの多い面白い曲だと思いました。管によるリズムの刻み方やつなぎつなぎメロディを作っていく感じなど、さまざまな実験が行われ、成功していると思いました。
にもかかわらず、聴き終わった感想は、何だか良くわからんへんてこな曲・演奏だったなあ、てなもんでした。特に終楽章はどんちゃかどんちゃか激しい部分が続くのですが、それがいっこうに心地よくなく、終わった直後には多くの団員が肩で息をしていた気がしました。

それまでの暗めの曲調から一変するこの終楽章は、違和感の大きさから「闘争から勝利へという交響曲の歴史が終わったことをパロディ化したもの」なんていう解釈もあるそうです。マーラー自身がこれについて何か言ったことがあるかどうか知らないのですが、また、マーラーならそういうことをやりかねないとも思うのですが、聴く方がそんな難しいことを考えなくても良いのでは、と思います。確かに意味づけを理解しようと思うととても難解ですが、そんなこと言ったら、村上春樹さんの小説なんて、ねじまき鳥だって、1Q84だって、合理的な意味づけなんてできないというか、できないようにたくらまれていると思います。でも、面白い。それが大切なことでしょう。
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で、何がいけなかったのだろうと考えながら、同じジンマンがチューリヒ・トーンハレ管を振ったSACDを聴いていると、最大の違いはホールの音響ではないかなあと思います。禁じ手の結論でしょうか。でも、マーラーの演奏で音響は極めて重要だと思います。弦も頑張っていたと書きましたが、藤森さんはじめチェロの音はほとんど埋もれて聴き取れないくらいでした。あれでは演奏するほうもつらいと思います。
ジンマンのSACDはマルチチャンネルで収録されており、これを聴いていると実演よりもはるかに心地よい音がし、終楽章の解釈なんぞ考えなくても浸りきることができます。しかし、高い金払って実演に行く意味が半減してしまいますな。N響、次はサントリーホールで聴こうかな。
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